ストーンウォールの暴動についてニャンコに聞いてみた。
ニャンコが言うには
まづは、コレを読みとよいぞ↓
メル・シェレン著 パラダイス・ガラージの時代~NYCクラブカルチャー・光と影【上巻】2006年9月22日初版
99ページから「ストーンウォール暴動」の章にメル自身が体験したこの夜のことが書かれているのだ。
メル・シェレンjan21,1933-dec7,2007
"The Godfather of Disco," と呼ばれたダンス・ミュージック界の親分であり、westend recordsの創立者
時代は黒人運動や女性運動、ヒッピー運動と声を上げて権利を主張していた時代、
しかし同性愛者たちには、まだ声を上げることを許される時代ではなかった。
バーでは、同性愛者と知って酒を販売したバーテンダーは逮捕される時代だった、1960年代ってそんな時代だった。。。らしい。
1969年6月27日レキシントン・アヴェニューにあるキャンベル葬儀場,
そこで6月22日に突然亡くなったジュディー・ガーランド葬儀が行われた
ジュディーは、早いうちからゲイに理解を示し、多くのゲイは当時、熱狂的にジュディーを崇拝していた(「ジュディイズム」と呼ばれた)
そんな彼らが、感情を高ぶらせていた夜。。。そして、
その夜は、異常に暑い夜だったそうだ。
グリニッチ・ヴィレッジの一角、クリストファー・ストリートとセヴンス・アヴェニューの
交差点にあるシェリダン・スクエアーに面したダンス・クラブ「ストーンウォール・イン」に警察の手入れが入った。
それまでも、各地のゲイ・バーに「警告」を意味する手入れは日常茶飯事だったそうだ、
それはすべて事前に連絡があり、店のかきいれど時はずしたものだったが、、、
その夜の手入れはちがった。
日付は28日に回った午前1時過ぎ、店は客が溢れ返っていた。
警察が彼らを店の外へ引っ張り出しはじめると、数人のドラァッグ・クイーンが警察を冷やかし始めたことから騒ぎが始まり、
それまで自分が同性愛者であることを隠して社会生活を送っていた人々が声を上げ始めた。
自分たちの権利の主張の始まりの夜、、、だったそうだ。
その夜、ストーンウォール・インは火が放たれ全焼、暴動は数日続いたそうだ。
世界中で毎年6月の最終日曜日にゲイ・パレードが開かれている。(日本ではなぜ8月?)
グリニッチ・ヴィレッジでの同姓愛者の駆け込み寺はこちら↓
おまけ::::::
パリのレ・アール地区、ポンピドー・センター北側にあるこの花屋
"le mille fenilles"の店のBGMは100%ジュディー・ガーランド
ジュディイズムに染まりきった店主の親父はもちろんオネエ言葉のおしゃれさん
パリを訪れた際は必ず寄りましょう!&お店のBGMを褒めてやってください。喜ぶぞ!!
つづく
Mel Cheren
http://www.westendrecords.com/staff/mel.php3
ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY
http://pf1530.blogspot.com/